大阪城乾櫓
大阪城の乾櫓。昭和4年(1929年)頃。
以下当時の写真解説。
大阪城は天正8年本願寺退去の後に豊臣秀吉の築造したもので天正11年起工3年の後同14年に竣工した。慶長11年の大阪冬の役や翌元和元年の夏の役等によってよく知られている。その規模まことに雄大で偉容人に迫るものがあった。天守閣は寛文年間雷火で焼失したがしかしなお当時の面影を偲ぶに足る遺構が少なくない。今やその中央本丸には第四師団司令部が置かれてある。
写真に写るのは大阪城西外堀にある乾櫓であり現在も現存している。乾櫓は大阪の陣の後に徳川の時代1620年(元和6年)に建設されたものであることが1956年(昭和31年)の解体修理の際に判明している。
当時の写真解説だと大阪城公園はまだ無く、戦前の大阪城の敷地は軍隊が使っていたことがわかります。この後昭和6年(1931年)に大阪市民の寄付金によって現在の大阪城天守閣が再建されて現在に到っております。
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新世界の通天閣
新世界のルナパークと通天閣。昭和4年(1929年)頃。
以下当時の写真解説。
千日前の新世界は明治36年内国勧業博覧会が開催されたところである。城内にルナパーク、国技館、噴水浴場等を初め多数の活動写真館、劇場等があって南大阪の一大娯楽場をなしている。通天閣は高さ75メートル全部鉄骨材料を以って組立てられている。爛々として輝く高塔の電飾は夜の大阪の一象徴ともなっている。エレベーターで頂上へ登ると40キロの展望を恣にできる。
現在の大阪新世界の戦前の様子。中央に立つ戦前まであった初代通天閣の下部分は凱旋門、上部分はエッフェル塔をとったという姿が確認できる。現在は戦後に建てられた二代目通天閣が建っている。
夜の道頓堀川
夜の道頓堀川の夜景。昭和4年(1929年)頃。
以下当時の写真解説。
大阪一の歓楽境を流れる道頓堀川の夜景はまたなく美しい情景である。カフェーのネオンサインや牡蠣舟の灯が川面にゆれジャズと三味線の音が交錯する。春の宵、夏の夕、宗右衛門町と櫓町にはさまれたこの川ほど行人の心をなまめかしくもそそるものはなかろう。これは宗右衛門町側から撮したもの。左がカフェーユニオン、中の四角な洋館が映画の松竹座、橋右のが戎橋。牡蠣舟の灯静。
当時の「カフェー」というのは現在のコーヒーなどを飲む「カフェ」ではなく、一般的には女性がお酒を持ってきてくれたりと現在のクラブやバーといった様なものです。
ここは現在のグリコの看板がかかる大阪道頓堀の有名な場所ですが、戦前の時代からすでに電飾であふれていたということがうかがえます。
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心斎橋筋
心斎橋筋。昭和4年(1929年)頃。
以下当時の写真解説。
これは大正14年竣工の戎橋から北に心斎橋筋を望んだものである。この通りは大阪小売商人の粋を集めたところで南は難波新地を通って難波駅に通じ、東は大阪一の歓楽境道頓堀、西は近く湊町駅に通じ大阪第一の繁華な地である。大丸呉服店が遠く見えている。
現在の心斎橋筋商店街の様子。写真解説にあるように写真中央に巨大な大丸百貨店の姿が確認できる。
地上駅時代の阪神梅田駅
大軌ビルデイング(近鉄上本町駅)
「大軌ビルデイング」昭和4年(1929年)頃
現在の近鉄百貨店上本町店に位置する。
大正15年(1926年)建設。昭和46年(1971年)閉鎖。
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